5年目の3.11。


ship-716778_1280

今思えばあの時自分の人生が変わった、と思うポイントがいくつかありますが、3.11はその最たるものです。

スポンサーリンク
ad

まだ許せていない

私は神奈川住いで、東北地方に親戚がいます。幸いといっていいものか、はばかられますが、福島の田舎は中通り(白河に近い場所)で、青森・北海道の親戚も太平洋側ではなかったために被害はありませんでした。

しかし、ごく普通に首都圏に住む人間の一人として、地震と津波、その後2週間続いた福島第一原発事故の件の心労でヘトヘトになり、3.11前後の割と細かい記憶は全部抜け落ちたような感じがあります。

特に原発の避難区域の家畜・ペット遺棄問題には心が痛みました。

当時の政権与党だった民主党は、3.11以前にも宮崎県の狂牛病で、感染していない牛、さらに肉牛の種牛も含めて、大量に牛を殺処分していました。

今度は放射能の危険域内で科学的な分析もおざなりなまま、単に放射能を恐れるあまり、動物を見殺しにしたことには、心の底からあきれ果てましたし、怒りを感じました。

今でも民主党のことは許せていません。

国民の命が大事、生活が大事とか言ってる政党でしたけど、口先だけのびびり党で、命が大事だよねって自分たち以外に訴えることしかできない人たち、具体的な何かを持っている人たちではありませんでした。

ろくな経済政策も外交もなく、小沢vs菅みたいな内ゲバばっかり。そんなのどうでもいいよ……民主党政権下の東日本大震災で、日本は一度滅びたと思います。

snail-187559_1280

名前も知らない普通の人たち

でもそんな中でも、放射能を恐れずに動物のレスキューに入る人が大勢いました。

寄付や支援をする人たちも。

そういう名前も顔も知らない普通の人たちがちゃんとしてて、しかも大勢いるって思える事が、当時の私の一番の救いでした。

東京消防庁による冷却水の投入の成功で原発事故がなんとかなり、関東南部に住む自分の周辺は日常を取り戻していましたけど。

ただ、私に取っては、もっと先の将来のこと、日本にこのまま住んでやって生きて行けるのだろうかっていう不安が一番大きかった。

それを救ってくれたのが、自分が直接知り合うことはないだろうけど、ちゃんとした人たちがこんなにたくさんいるっていうことだったんですね。

被災ペット問題

今も遺棄ペットの問題は残っていて、たくさんの人たちが東奔西走しながら救助にあたっています。なんにもできない私には、感謝する他いありません。

そして災害ってほんとうに怖い。

自分的には、

・基本避難所に避難はしない(動物嫌いの人がいてアレルギーどうこう言われて不愉快になるのは目に見えているから)

・多分被災しなかった地域から動物保護に来る団体があるだろう、ペットはそういう団体にすぐに預けて、自分は早く生活を立て直して迎えに行く、

という風に考えてますけど、これを実行するためには、まずは生き残らなくてはいけないっていう(現在今超海沿いに住んでて、津波の危険性は低い地域なんですが、やっぱり引っ越したいです…)。

でも生き残れたら、猫達や周囲の人たちのためになんでもしようと思います。

東北大震災でもなんとかなったのだから、これから先もなんとかなると信じて🌟

なんてことを、3.11につらつら思ったのでアップしておきます。ただの雑感ですけど、記録として。

あの災害で亡くなったすべての命の冥福を祈ります。どうぞ安らかに。

スポンサーリンク
ad
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
ad

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA